09話

ウソップとチョッパーの二人が海に釣り糸を垂らして獲物を待っていた昼時。穏やかな風に気を取られた刹那、ぽちゃんっと一瞬で沈むウキに気づいたチョッパーは、慌てて竿を引くもあまりの重さに逆に海へと引きずられ悲鳴をあげた。勿論それより先に気付いたウソップが手助けをするが、雀の涙ほどの力では何の役にも立たない。

「ぎゃーっっ!!」
「たすけてー!」
「何やってんだよお前らはっ!!」

船の手すりから上半身が乗り出し、このままでは海王達の餌になると最悪の展開が頭をよぎる。南無三と二人して涙を流し目を閉じた時、近くで昼寝をしていたゾロが現れるや否や二人を捕まえ船へと引きずり戻した。そして青い血管を浮き上がらせ、奪い取った竿を力の限り引っ張って獲物を釣り上げる。飛び散る水しぶきとやっと姿を現した獲物に船床へ座り込んだまま歓声をあげた二人だが、引き上げられた勢いで空へ舞うように浮かぶ影にしばし言葉を失ったあと、肺中の酸素を使って叫んだ。

「「でけーーー!!!」」

この世界は未知の生き物であふれ、釣り上げられた獲物もまた名のある珍魚だろう。だが、その名を知りたいと思うより先に宙で器用に体をうねらせ、ゾロに向かって落ちてくる魚に気づきウソップは再び叫んだ。

「やべェゾロ!そいつお前を食う気だ!」
「よし、今日の酒はこいつで飲む」
「って聞けよ!!」

振り返ることなくゾロは小さく頷くと、自身の愛刀を取り出し向かいくる巨体に狙いを定める。刺身と天ぷらにしてもいいかもしれない、乾いた唇を舌で舐めた瞬間。風を切る無数のナイフが獲物の体に深々と突き刺さり、軌道をずらしたかと思うと巨大魚はゾロのすぐ真横へと落下してきた。ズシンっ、と重い音が足を通じて全身に響く。何が起きたか、現状を理解するよりも先に今度はゾロの目の前にここ最近で見慣れてしまったマントを着た男が舞い降りた。

「やー、驚いた。大丈夫だった?」
「おまえ、俺を殺す気だったか?」
「自意識過剰にもほどがあるだろ」

呆れたと言わんばかりのため息を隠すことなくはつくと、たった今自身が仕留めた獲物に視線を送る。

「こいつ、毒針投げてくるから要注意」
「……別にてめェの助けなんかいらねぇ」
「ははっ、僕も随分嫌われたものだ」

相変わらず深く被ったフードで表情は見えないがはそれ以上何も言わず、ピクリとも動かない獲物に近寄ると刺さったナイフを一本一本抜き始めた。別にゾロはを嫌っているわけではない、ただまだ信用に値しない……それだけだ。最悪の出会いをしたい以上に、金の為でも自身のレベルアップのためでもなく仕事をしていると言っていた。

『楽しめたらそれでいいってこと』

ふと思い出した一言に眉間しシワが寄るのが分かる。他人にも自分の命にも興味がないと言うところが、尚腹立たしい。ルフィもナミも、ウソップもチョッパーもあのロビンやサンジでさえも気づけばと打ち解けていた。別にそのことに関して不満に思っているわけではない、本心はわからないにせよ役に立とうと動いているのは目に見えて分かるからだ。

「(さっきも、殺そうと思えばあいつなら簡単に出来た)」

出したままだった愛刀をそっと鞘に戻し、いつの間にか刀抜きに加わって楽しそうに話すウソップたちを見る。一寸の狂いなく獲物の体に突き刺さる刃物の数々。殺気を感じさせないままあの刀が魚ではなく自分に降って来たら無傷でいられる自信はなく、何より今も能天気なバカ二人を切ることもたやすいはずなのに怪しい動きは何もない。

「(あいつは、何者なんだ?)」

本当の名前も、素顔も見せることないに静かに苛立ちが募る。仲間になったわけでもない、一緒に旅をするわけでもない、『嫌われている』とあいつは言ったがおれたちに何もかも隠し通す奴をどう信じろというのだ。乱暴に頭をかきむしり、何度目かになるため息をついた時だった。

「ゾロッ!避けろ!」

最後の力を振り絞ったのだろう、急に動かなかった獲物が大きく蠢いたかと思うと口を開け何かを吐き倒れた……と理解した瞬間には、足に鈍く光る銀色の針が刺さりゆっくりと、でも確かな速度で心臓が高鳴り出したのがわかった。あーそういえば毒針を投げてくると言っていたなと熱くなる体に舌を打ち失態を反省する。ウソップとチョッパー、そしてなぜかまでもが慌てて駆け寄ってくるのが歪む視界の中で見えた気がしたが、とりあえずてめェは来んなと声なき呟きをこぼして意識は闇へと沈んだ。


+++


「解毒剤が、ない……!」

毒の影響で高熱が出ているのであろう、白いベッドに横たわり顔を真っ赤に染め荒い息を繰り返すゾロのすぐ隣で、この世の終わりと言わんばかりの顔をした唯一の船医が呟く。様々な薬品が置かれた医務室には、事態を聞きつけた船員たちで溢れていた。

「解毒剤がないって、どういうことよ!?ちゃんと補充はしてるはずよ!?」
「違うんだナミ、確かに解毒剤はいくつか揃えてるけど!」

でもあの魚の毒に対する解毒剤がないんだ!と叫ぶチョッパーの悲痛な叫びが、事の深刻さを何よりも確実に伝えた。船の揺れに呼応して動くランプ明かりが、神妙な面持ちの船員たちを照らす。次の島に着くにはどう船を急がせても最短で2週間はかかるし、魚の毒を解析し解毒剤を作るにもうまくいって3日はかかるという。

「剣士さんの体力があとは持つかどうかね」
「ゾロォーっ!サンジがあの魚夕飯にしてくれるから起きろよーっ!」
「おれも少しは食う量減らす!だから起きてくれ!!」

ルフィとウソップが泣き叫ぶが、ゾロの声は聞こえてこない。苦しそうに呼吸を繰り返し汗を流すゾロを、は何も言わず濡れたタオルでぬぐっていた。

「どうする、薬がない以上おれたちができることは限られてるぞ」

サンジが呟いた言葉に誰も何も言えず、頭をよぎる最悪の展開に船員たちの表情も曇る。ランプに照らされる薬品たちのカチャカチャという音が、やけに部屋の中に響く。荒い呼吸を繰り返し、苦し気にうごめくゾロを横目に一か八かとチョッパーが自身の手を握りしめた時だった。うな垂れるようにしていたが急に立ち上がったかと思うとマントを脱ぎ捨て、何か決意したような強く露わになった瞳でルフィを見る。

「解決策が一つだけある」
「!?ゾロを助けられるのか!?」
「彼がこうなったのも、獲物をしっかりと仕留め切れていなかった僕の責任だ」

目を細め、困ったように笑う顔に一瞬ルフィは目を見開き息を飲む。ランプの光の下で改めて見たが、なんだか綺麗に見えた気がしたのだ。しかし今はそれどころじゃ無いと頭を振ると、その方法とやらを尋ねる。

「……ごめん、まだ君たちにそこまで話せない」
「なにィ!?」
「命を懸けて彼を助けるとしか言えない僕を、許してほしい」

珍しく顔をこばらせ、苦しげにもう一度「ごめん」と呟くに、再び医務室は静寂に満ちる。そして一番最初に口を開いたのは、なぜそこまでして隠したがるのかと怪訝な顔を隠すことなく浮かべたナミだった。この数日共に過ごしてきたが、未だに『顔無しの』は謎に包まれた存在で、何を考え何を思っているのか分からないし教えてくれない。しばし消えていた不安が顔を出し、気づかぬ間に作った拳にも力がこもっている。

「何もかもが『秘密』のあんたを、正直全部信じられない」
「……うん」
「やっと顔出したかと思えば、辛気臭い表情だし」
「ご、ごめん」
「謝らないでよ、別に怒ってるわけじゃないんだから」

深く息を吐き、ナミは足を踏み出しの目の前に立つ。初めて出会った時以降なかなか見ることがなかった顔と向き合い、そして躊躇なく両頬を掴んだ。事の成り行きを見守っていた面々と、勿論本人も含めざわつく。

「ナ、ナミ!?えっと、殴るなら怪我しないように!」
「殴んないわよ!ってかなんであんたがそんな心配すんの!?」
「あはは、つい……」
「命、かけてくれるんでしょ。だったら、私も命を懸けて信じてみる」

少し間を空けたのち大きく目を開くに、こんな時にでも自分を心配するだなんて本当に馬鹿な奴だと苦笑する。今になって思えば初めて出会ったあの時、強い海賊を求めていたのだからわざわざ捕まる必要などなかったはずだ。それにナミたち含め、全員が解放されたのを確認すると迷いなく海賊船のある場所へと走っていった……つまり、最初から知っていたのだ。彼は、海賊たちの本当の住処を。パズルのピースが埋まっていくような感覚に包まれながらそう問えば、居心地悪そうに目をそむけたを無理やり向き合わせる。

「なに逸らしてんのよ」
「いや、そんな良いように言ってもらえるほど僕は出来た人間じゃないし」
「言っとくけど、私人を見る目はルフィ以上にあるつもりよ」

背後でなにやらおれもあるだのおまえは黙ってろだの何やら聞こえるが、ナミは振り向くことなくの目を見据え言葉を続ける。正直少しだけ不安はまだあること、でも共に過ごした時間が悔しいけどとても楽しかったこと。言葉にして伝えることで不思議と胸のつかえが取れ、頬を掴んでいた手を離してもの瞳はナミをまっすぐ捕えたままで、それもまたなぜか嬉しく自分の表情が和らぐのが分かった。

「だから、ゾロの事よろしくね」
「……ちゃんと、話せなくてごめん」
「謝るなら、いつかもう少しあんたのこと教えてよ」

静かに頷くを確認し、仲間たちを振り返る。勿論ナミの言葉を否定する者もおらず、口々に了承の旨を呟くと、最後にルフィが深々と頭を下げた。ゾロを助けてくれ、そう力強い言葉と共に。



  
(2018/04/01)
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