10話

波の揺れに呼応し動くランプに照らされ、医務室に置かれた色とりどりの薬品が危険な光を放つ。荒い呼吸を繰り返すゾロと、そのすぐ隣に持ってきた椅子に腰掛ける以外に部屋の中に人影はなかった。

「君を助けるよ、ゾロ。この命を懸けて」

ぽつりと零される言葉に、勿論返事はない。信じられるかい?と目を細め笑うの顔には、困惑と動揺が入り混じっていた。

「なんでだろう、この船に乗ってからやけに君たちと一緒にいるのが楽しい」

額の汗をぬい、懺悔するように言葉を紡ぐ。久しく忘れていた感情の名すら思い出したのはつい先程で、こんなにまで人間らしさを忘れていたのかと自傷気味に笑った。出来たらこの船を下りるその日まで気づきたくなかったのも正直な話だが、今はそんなことを言っている場合ではない。

「君を失ったら彼らが悲しむ……多分、僕も悲しい」

苦し気に繰り返される呼吸に、胸の奥が締め付けられ表情も険しくなる。一刻も早く彼を救いたい、強い決心を胸に流れ落ちる汗をタオルで拭き、名を呼ぶ。何度も、何度も、もう一度あの強い瞳が光を放つように。


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聞きなれた声に呼ばれた気がして、少し虚ろな瞳で宙をしばし彷徨った後、見たことがあるような顔に気づき瞬きを繰り返す。そしてそれがなのだと理解すると、眉を寄せた。なんでお前がそこにいる、声なき問いには苦笑する。

「治療のためだ、嫌だろうけど少しだけ我慢してね」

助ける、自分を?現状把握できないゾロは痛む頭で必死に思い出し、不覚にも魚の毒針が刺さったことを思い出した。一生の恥だ……しかもよりによってこいつの前で、とため息まじりに天井を見上げれば毒の影響だろう、歪な形になってしまった天井がそこにはあった。燃えるように熱い体に吹き出る汗、骨も筋肉も痛みで悲鳴をあげ、声を出すことすら億劫な現状に「こいつはやべェ」と冷静になる。

「おーい、起きてるかい?」

朦朧とした意識の中、解毒剤がないだのなんだの聞こえたが結局どうなった?そういえばさっき、あいつはなんて言った?おれを助ける?あぁクソッ、頭が全然うごかねェ。ぐるぐると掻き回される思考回路に困ったもんだと舌を打てば、今度はひんやりとした何かがひたいに当てられた。

「あぁよかった、起きてるね。早速だけど治療に取り掛かるよ」

それがタオルではなくの手だと気付いたのは、暫くしてから。熱い体にこの冷たさがやけに気持ちがいい、そういえば寝ている時も冷たいタオルで拭かれていた記憶があるがあれも気持ちが良かった。朧げな記憶を辿っていたゾロだが、からの発せられた次の一言に一瞬だけ意識が鮮明になる。

「血、とかはやっぱり舐めたくないよねぇ」
「ーーッ!?」

お前は!なにを!言ってんだ!耐えられず文句の一つでも言ってやろうと口を開くが声は出てこず、代わりに体温に負けないくらい熱い息が荒く吐き出された。

「ははっ、ごめんごめん。今の忘れて」

こんな時に冗談などやめてほしい、無言で睨みつけるゾロに慌てて笑ってごまかしたは、気を取りなおすために一度咳払いをすると頭を下げる。

「本当は許可とかとったほうがいいんだろうけど、時間もないし」

ごめんね?と上げた顔には困ったような笑みが浮かべられ、どういう意味だと問うより先にベッドに横になるゾロの顔の隣に手が置かれる。なんだ、なんのつもりだ。熱が上がってきたのだろう、先ほど以上にまともに動かない頭でこの先の展開を考えるゾロだが何も予想がつかない。「出来たらこれも忘れてほしい」と椅子から立ち上がったは伏し目がちに告げると、そっと反対の手をゾロの頬に添える。

「(なにを―)」

するつもりだ、そう言いかけた言葉はゆっくりと近づくの顔に気づき飲み込む。そして、自身の唇に優しく触れた柔らかな感触にすべての思考回路が止まった。小さな水音だけが医務室に響く。

「…………!?!?」

流石のゾロも突然のことにただでさえ動かない頭が追いつくことはなく、ピタリと動きと共に呼吸も止めてしまう。乾燥した自分の口に触れるの唇から辿々しく入れられた小さな舌は戯れることなくすぐに身を隠し、自分たちの行為を理解する頃にははゾロから離れていた。手の甲で唇を拭うの頬は、少しだけ赤い。

「実は僕、不思議な力があってね。妄想じゃないよ?キスで……人の怪我や病気が治るんだ」
「!?!?」
「久しく使ってなかったからどれくらいで効果が出るかわからないけど、きっと大丈夫」

驚きでなにもいえず、ただただ自分を見るゾロに気付いたは椅子に掛けていたマントを身に着けフードをかぶりなおすと、「チョッパーを呼んでくる」と振り向くことなく医務室を後にした。一体なにが起きた、なんでおれは男からキスされてんだ、違う意味でまたぐるぐる回る思考回路についていけず、そこでゾロの意識はぱったりと途絶えた。


  
(2018/04/01)
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