17話

人気のない道を歩き、木々に囲まれた村の奥にひっそりと佇む宿屋に足を踏み入れる大きな男。穏やかな風が、灰色に染まる髪をなびかせ通り過ぎていく。人が良さそうな主人に案内されるまま長く続く廊下を歩き、辿り着いた部屋の前でベックマンは深くため息をこぼした。なぜ自分がこんなことをしなければならないのか、未だ酒が残る体を動かせば何処からか骨が軋む音が聞こえる。

「ったく、面倒な仕事ばかり増える」

立ち寄った村の祭りに参加するという船長のワガママを聞いたのがそもそもの間違いだったのかと後悔するも、時既に遅しということは副船長のベックマン自身が何よりも理解していた。『顔無しの』に命を狙われたはずの赤髪は、近年賞金稼ぎから狙われることが少ないからか随分今回のことを楽しんでいる。しかも滞在中せっかくなら奴と親睦を深めたいなどと言い始め、船員たちが村人に探りを入れやっと見つけたの宿になぜか自分が迎えに行くことが決まったのは昨夜遅く。異議を申し立てても船長命令と言われてしまえばそれまで。ため息まじりに白い煙を吐き出し、目の前にある扉を叩く。

「……」

だが、暫し待つも扉が開く気配はない。廊下の窓から差し込む日差しは高く、通り過ぎてきた村は多くの商人たちで賑わっていた。既にいないという可能性が頭をよぎるが、宿屋の主人から外出した様子はないと聞いたのを思い出し今度は乱暴に叩く。と、中から慌ただしい足音が聞こえ、勢いよく目の前の扉が開かれた。

「すまない!シャワーをして、た……」
「本当にここにいたか」
「……なんで!?」

目を細めるベックマンの前に立つのは、先日着用していたマントを片手に持ち、肩を震わせる賞金稼ぎの姿。バスルームから出たばかりなのか、濡れた髪のまま驚きの声を上げ固まる人物をタバコに手を添えながら鋭い目付きで観察する。

「(女みてぇな奴だ)」

細い肩に、力を込めれば容易に折れそうな手首。昨日と違い露わになった顔は血の気が引き青白く、目を大きく見開き口を金魚のように忙しく動かしている。賞金稼ぎでありながら未知数という金額がついた『顔無しの』。赤髪海賊団でも時折話題となり、そんなに強いのならいつか手合わせ願いたいと何人もの船員たちが言っていたが……まさか赤髪を狙った馬鹿がその顔無しとは思ってもいなかったし、なにより今も簡単に扉を開ける警戒心の無さにベックマンの中で昨日以上に本物なのかと疑問が強まる。

「確認せず開けるとは不用心だな」
「……宿屋の主人が朝食を持ってきたと思ったんだ」
「へェ」

気まずそうに目をそらす姿に、なんでお頭はこんなのに興味を持ったのだかと呆れた時、一瞬の隙をついては身を翻し部屋の窓辺へと走り出した。だがそれすらお見通しだったのか、ベックマンはすかさずの後頭部にライフルを突きつけ不敵な笑みを浮かべると、引き金に指を添える。

「まぁそう急ぐなよ」
「ははっ……無理な話だ」

話を聞くか、このまま死ぬか。未だ下されないライフルが放つ無言の圧力にしばし沈黙が生まれるが、隠すことなくため息をついたがしぶしぶマントを持つ手を挙げ「なんの用だい?」と尋ねた。

「来りゃ分かる」
「は?……ちょっ!?まっ!?」
「これ以上手間かけんな」

口早にそう呟くと、の体を脇に抱えそのまま部屋の外へと歩き出す。勿論突然のことに理解ができないと暴れるだが、ベックマンは特に気にする様子もなく逃がすものかと手に力を込め悠々と歩き出し、宿屋を後にした。


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道中、理由を尋ねても後でわかるの一点張りで質問に答えないベックマンに苛立っていただったが、村の中央にある噴水場に腰掛ける人物に気づくとどんな手を使っても逃げるべきだったと後悔した。脳裏にちらつくのは麦わらを被った友人の姿、そして自身を襲う罪悪感。

「お!やっと来たな!」
「ったく、これで満足か?」

ベックマンは投げるようにを地面に転がすと、肩が凝ったと今日で何度目になるかわからないため息をこぼす。そしてはというとしばし地面に座り込み状況把握に励むも、「大丈夫か?」などと事の発端であろう男に心配されてしまい、悔しさと羞恥心に一瞬で赤く顔を染め鋭い視線を向けた。

「僕が納得いく説明をしてもらおうか、赤髪のシャンクス」

持っていたマントを身にまとい、顔を隠すようにフードをかぶる。立ち上がった勢いでたなびく裾は、持ち主の機嫌とは違い穏やかに波打つ。噴水場に集まっていた村人たちも最初は何か始まるのかと期待していたようだが、が発するただならぬ気配に気づくと慌てて立ち去って行った。遠くから聞こえる音楽だけが静かにその場に響き、しばし沈黙が3人を包んだが、出会った時と変わらぬ笑みを浮かべていたシャンクスが急に頭を深く下げる。

「昨日は怒らせちまって悪かった!」
「……は?」

一体何の用だ、そう言いかけたは予想だにしない台詞に呆気にとられた。あの四皇が、しかもただの賞金稼ぎに頭を下げるだなんて。どういうことだ、なんのつもりだ。困惑のあまり怒りは薄まってしまい、代わりに顔を上げるよう声をかける。

「んなの関係ねェ!悪いことしたら謝るのが筋ってもんだ!」

だが頑なに拒まれ、この男の考えはやっぱり理解できないとたじろいだ。悪いことをしたら謝る……小さな子供が母親の言いつけを守るように、それだけのことで自分の命を狙った人物を探して連れてきたのか。出会った時から考えも、腹の底も見えないシャンクスが正直は苦手だった。ルフィ以上に得体が知れない人物で、それもまた会いたくなかった理由の一つだというのに。未だ上げられない頭に、もう気にしていないとほとほと困り果てながら告げれば、満足したのか今度は満面の笑みがに向けられる。

「お前この村に住んでんだろ?折角だから案内してくれよ」
「住んでないし嫌だよ。ねぇ、彼は本当にあの赤髪?」
「それ以外に何に見える」

あの四皇が賞金稼ぎに頭を下げた上、昨日に続き変なことばかり言って来る。彼は赤髪のシャンクスにそっくりさんの浮かれた観光客なのか?ふと湧いた疑問をライフルに手をかけ険しい表情のままタバコをふかす副船長に問えば、ため息交じりに「これが赤髪海賊団の船長だ」と呟かれる。その真っ直ぐな瞳から、彼も嘘をついていないのだと分かった。

「(これがあの四皇、なのか?)」

確かに未知数という数字に簡単には出会えないだろうと手配書は手元には残さなかったが、風貌は赤髪のシャンクスそのまま。漂う気配も存在もただ者でないのは納得するが、警戒もせず賞金稼ぎに村の案内を頼むだなんて何を考えているのか……。何もかもが予想外だと乾いた笑いを零せば、シャンクスは立ち上がり一歩近づくと黒く長いマントをたなびかせ右手を差し出す。

「そういえば自己紹介がまだだったな、赤髪海賊団船長のシャンクスだ!んであっちの怖い顔した奴が副船長のベックマン!」
「……知ってるさ、それくらい」
「ありがてェ!でもお前がまさかあの『顔無しの』だったとはなァ」

この村に来てよかったと口を大きく開け笑うシャンクスの言葉に、はフードの奥で微かに眉を寄せた。どうしたと問いながら出される右手を取ることなく、一歩後ろに下がる。

「でも僕が本物って信じてないんでしょう?」

宿屋に来た彼も信じてない様子だし、と顔をシャンクスから背けタバコを堪能するベックマンに向ければ、「当たり前だ」と冷たい一言が返る。今まで謎に包まれていたはずの存在だったのだ、信じなくていいし、麦わらの一味以外に知られる必要もない。

「だからもう帰ってもいい?」
「ん?ダメだ、まだ案内してもらってねェ」
「……人の話聞いてる?」
「おう!でもダメだ!それにおれはお前を偽元と思っちゃいねェぞ!」

未だ諦める様子がないシャンクスに呆れたと肩をすぼめるだったが、小さな子供のように瞳を輝かせ、力強くまっすぐ自身を見据えられ息を飲む。その真剣な姿が、表情が、全身を使って『顔無しの』が僕……いや、私自身がだと訴える。

「と言ってもおれの勘だけどな!だっはっはっ!」
「……説得力のかけらもない」

命を狙ったからだと言ってくれればまだ納得しようと努力したものの、底抜けた明るい笑い声に全身の力が抜けたのが自分でわかった。あまりに警戒心のない態度に、気づけば共に笑う余裕すら生まれて来るのだから尚の事恐ろしい。

「諦める気、はない?」
「残念だったな顔無し、お頭はそう簡単に諦めねェよ」
「海賊はしつけェからな!」

不敵な笑みを浮かべる二人には苦笑する。四皇の一人と、そしてこの場についてから一切武器から手を離さない副船長相手に逃げ去るのは無理だろう……ならば今回は諦め、素直に従った方が賢明だ。

「分かった、案内するよ」
「お!ありがとな!!」
「滞在してるだけだから詳しくは知らないからね」

それでもいいのならとやっとが左手を出せば、待ってましたと言わんばかりにシャンクスの右手が掴む。大きくて厚く硬い皮に包まれた男の手、なるほどこれが伝説の手かとが思う頃、同時にシャンクスも静かに驚いていた。目の前の人物が顔無しだとほぼシャンクスの中では確定している、だからこそ先日宿屋で見かけた通り白く柔らかな手は今まで見て来た賞金稼ぎとはだいぶかけ離れている。これで男だなんて勿体無い話だと静かに心の中でため息をついた。

「なぁ、とりあえずフード取ってくれねェか?」
「嫌だよ」
「なんでだよ!おれらはもうダチだろ!?隠し事するな!」
「君と友達になった覚えはない、それに」

そういえば酒が入っていない状態でもう一度顔を見たいと願うも躊躇することなく一瞬で却下され、は手を解くと脱がされないよう深くフードをかぶり、ニヤリと笑う口元だけを見せて言葉を続ける。

「そう簡単に見せたら、『顔無し』の名が泣く」

少しだけ間を開け、この村についてから1番大きく口を開き笑う赤髪の笑い声が噴水場に響き渡った。


  
(2018/11/19)
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