13話

着替え用にと貰った白いシャツに腕を通し、シンプルな作りの黒いズボンに穿きかえる。少しだけタバコの匂いがするのは前の持ちの影響だろうと、やけに長い裾を折り曲げながら笑みを零す。誰もいないことを確認して早足で洗面所へと向かい、手早く身支度を整える。久しぶりに使った力の代償は思ったよりも大きく、未だ顔には疲れが残っているがとりあえず『男』に見えるよう化粧をすればだいぶマシになった。

「さぁ、今日で最後だ」

両ほほを思い切り叩き鏡に映る自分に語りかけ、は背を向けるとそのまま船首へと向かう。体調が悪い時はよく食べよく寝るべきだとルフィ達に怒られここ数日素直に寝ていたのだが、ゾロの時のように自分を見舞ってくれた麦わらの一味はなにかと気にかけてくれ、時にはこの服のように差し入れをくれた。

「(この力の事、何も知らない様子だった)」

約束を彼らは本当に守ってくれたのだと安堵し、零した笑みは最初にこの船に乗った時よりも柔らかくなったことをまだは気づいていない。いつも通りマントのフードをかぶり一歩外に出る、と同時に目の前に広がる光景に気付くと手すりの元へと駆け寄った。見渡す限り青が続く世界に、小さな影が見える。それが目的地としていた次の村で、この短い旅の終わりの地なのだと誰よりも自身が知っており、手すりに置いた手は気づかぬうちに固く握られ震えていた。天候に恵まれ予定よりも早く着くと、『暇つぶし』に部屋に来てくれたナミが教えてくれたことを思い出す。その時は特になにも思わなかったが、いざ終わりが形になって見えてくると胸に穴が開いたような感覚に襲われ、その感情の名は分からないふりをした。

!おめェ、もう大丈夫なのか!?」
「やぁルフィ、もう元気になったよ」
「ったく、体調悪いんだったら早めに言えよな」
「すまない、ウソップ」

ただの気の迷いだろうと頭を振った時、背後から朝食を食べ終わったのだろう二人が久方ぶりに姿を見せたの元へ元気よく走り寄る。心配したと吠えるルフィ達に迷惑をかけたと頭を下げれば、間を置くことなくの頭に二つの衝撃が届く。

「「迷惑なんてかけてねェ!」」
「……ははっ、ありがとう」

それがルフィとウソップの振り上げた拳からだと分かっても不思議と怒りは湧かなかった。むしろ彼らに出会ってから頻繁に感じるあたたかな感情を今も胸の奥で感じ、は悲しげに笑う。それから暫くしないうちに他の船員たちもぞろぞろと甲板に集まり、まずはナミからのお説教が始まった。

!ちょっとそこ正座!」
「え、あ、はい」
「ったく、心配かけたくない気持ちもわかるけど、同じ船に乗ってるんだからちゃんと言いなさいよ!」
「うん、役に立つどころか逆に手間ばかりかけて申し訳ない」
「だからんなことどうでもいいって言ってんでしょ!」

言い終わるや否や鈍い音が脳内に響き、遅れてじんわりとした痛みが頭を襲う。気付けば怒られることにも慣れてしまい、これもなくなるのかと思うと胸の穴はどんどん大きさを増してく。叩かれた箇所を抑え低く唸るに満足したのか、ナミは腰に手を当てチョッパーを呼んだ。

「この馬鹿が本当に元気になったのか診てあげて」
「おう!任せとけ!」
「……馬鹿ってもしかして僕のことかな?」

まさか違うよね?とナミを見るも、あんた以外どこにいると鋭い睨みを向けられはそれ以上なにも言わず口を閉じる。そして走り寄るチョッパーの前に座ると、素直に診察を受けることにした。脈拍、顔色、小さな手だがしっかりとした手順での体調を診る。

「んじゃ次はあーって声出してくれ」
「あー」
「つか、お前こんな時までマント着てんのかよ」
「本当、結局一度しか脱いでくれなかったわね」

テキパキと仕事をこなすチョッパーの横でゾロとロビンがため息まじりに溢した。短いといえど一月ばかり航海を共にした仲だ、『顔無しの』の本当の姿を見せてくれてもいいのにと少なからず抱く不満を口にすると、そばで見ていたルフィがニカっと笑いながらの隣にしゃがみ込む。どうした?とが尋ねる間もなく、突然フードの上から頭を思い切り撫でられ、ぐしゃぐしゃと中で髪が乱れる様に小さな悲鳴が船に響く。

「ちょ!まっ!ルフィ!!なにするのさ!!」
「いつかそのきったねーマント、脱いでくれよな」
「……汚いは、余計だ」

慌てて止めようと伸ばした手は、出会った時から変わらず自分に向けられるルフィの笑顔を見た瞬間動くのをやめる。ずれたフードをかぶり直し診察終了の言葉を合図に立ち上がると、真っ青な空を見上げた。姿も、名前も、全てを嘘で覆う自分を迷うことなく受け入れてくれた麦わらの一味に、いつか真実を話す日が来るのだろうか……そんなことを考えながら。そして他愛のない話を楽しんでいる間に船は村へと近づき、最後の仕事として停船の準備を始めた頃だった。

「お前、本当にこの船から降りるのか?」
「うわっ!?」

今まで移動の際使って来た船は追跡されぬよう捨てることが多く、帆をたたむことも碇を降ろすこともなかった。だからこそ最初は手間取った作業に知らぬ間に慣れた自分と、改めてこの船と、そして彼らとの別れを実感した時。何かを片手に持つタバコを咥えたサンジがふらりと現れ、の隣に立つ。

「なに驚いてんだ?」
「や、急に現れるからだよ」
「……」

気を抜きすぎて気配に気づけなかったと情けない一言を告げると、サンジは険しい表情のまま深くため息をこぼした。吐かれたタバコの煙がもくもくと白く空に舞う。

「別に急ぐ用もねぇならこのまま乗っててもいいだろ」

表情は変えず告げられた、全く予想していない人物からの予想外な言葉。流石のだけでなく周りにいた船員たちも驚きを隠せず、慌てて2人の元へ走り寄った。

「クソコック!やっぱお前男の趣味があったのか!?」
「マジで殺すぞマリモ!!!」
「なんだ、その、おれたちはサンジの趣味は否定しねェぞ!」
「お、おう!好きなものに男が追加されただけだしな!」
「チョッパー、ウソップ、お前ら今日の夕飯無しだ」

途端、絶望に満ちた悲鳴が響き渡る。未だ驚いていたもあまりに夕飯抜きを嘆く2人が可笑しくて吹き出してしまうが、サンジの更に深まる眉間のシワに気づき慌てて誤魔化すように咳をする。

「次の村で降りるのはこの船に乗った時からの約束だ」

麦わらの一味に手を出さないこと、船の仕事を手伝うこと、そして次の村で降りること。サニー号に乗った時からの誓いを今更曲げるわけにはいかないと告げられ、「んなことだろうと思った」とサンジは乱暴に自分の頭をかいた。初めて出会った時は最悪の一言に尽きるも、拒否権なく四六時中共に過ごせば変わるものもあるし、男だろうが別れも辛くなる。女の子だったら号泣レベルだが……野郎相手にこんなことを思う日が来るとは思わなかったと言葉にせず心の中で思うと、サンジは持っていた荷物をに投げ渡した。

「土産だ、腹減ったら食え」
「ん?これは、弁当?それにクッキーまで!?……ありがとうサンジ」
「言っとくけどな!別に寂しいとかじゃねェぞ!!」

綺麗に包まれた箱、大きさと重さから推測するに三段はゆうにあるだろう弁当をはぎゅっと抱きしめ、やんやと騒ぎ立てる野次馬に一喝するサンジに頭を下げた。

「さて、短い間だったけどお世話になりました」

最低限の荷物、貰った服、そしてお弁当。手ぶらだったはずなのに気づけば両手いっぱいに荷物を持ったは、砂浜に降り立ち船首に集まる麦わらの一味に頭を深く下げる。初めて真正面から見たサニー号はルフィが自慢するように、とても素晴らしい趣きと姿をしていた。君にも世話になったと小さく告げ、もう一度頭を下げる。

「寂しくなったらいつでもおれたちを探せ!」
「ははっ、こんな広い海で無茶を言う」

もしかしたらこれが最後かもしれないのにと困ったように笑えば、ロビンが何かを投げた。宙を舞ったそれはハナハナの実によって器用にの元へ届けられ、そして『見ろ』と言わんばかりに目の前で広げられる。書かれた文字を目で追い、そして全てを理解するとなぜか無性に泣きたい気持ちになったが、生憎こぼれる涙はすでに枯れたは代わりに大きく笑った。

「また君達に会いに行くよ!必ず!」

に宛てられた、麦わらの一味からの寄せ書き。1番大きく書かれたのは『おれたちはダチだ!!!』の文字、誰が書いたのかわからないがなんとなく予想はできる。賞金稼ぎであるはずの自分をここまで受け入れてもらえたこと、共に過ごしてくれたこと、何より『友達』と言ってくれたこと。最後の島へ近づくたび感じていた感情が『寂しい』だったのだと気付いた時、無意識にの口から出たのは再会を誓う言葉だった。また会おう、また会いたい、最後にもう一度だけ麦わらの一味に頭を下げ、は目的のない次の旅を始めた。


  
(2018/06/10)
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