20話

フードの奥で瞬きを繰り返す。長いまつ毛が布に触れ聞こえる微かな音は、目の前の海賊たちの笑い声にかき消された。 『案内』の礼だとが連れて来られた場所は、つい先日も訪れた薄汚れた酒場。そしてその扉の先には、できれば違って欲しいと心から願った赤髪海賊団の宴会が行われていた。

「なんだ!全然酒が減ってねェぞ!」
「ははは……」

部屋の中心に置かれた大きなソファーに腰掛ける賞金稼ぎは、フチギリギリまで酒が注がれたジョッキを片手に前にも聞いた台詞だとため息を零す。 左隣には喉を鳴らし酒を飲む赤い髪の海賊が、そして反対側には煙草を堪能する灰色の髪の海賊が座っており、今回もそう簡単には抜け出せないと引きつった笑いを頬に貼り付け、 彼らと出会ってから何度も思ってきたことを今日も一人心の中で洩らした。

「(なんでこんなことに……)」

答えは勿論返ってくることはなく、むせかえるようなタバコと酒の匂いに一人眉を寄せる。 ゲラゲラと他の船員たちとなにやら楽し気に笑いだした赤髪を横目に、数刻前の記憶をたどった。女に絡む男を適当にあしらい、案内の途中だったと仕方なく彼らのもとに戻った際に言われた『人助けもするんだな』と言う台詞。

「……」

は楽し気に踊り出す海賊たちをぼんやりと見つめ、どこかから聞こえる鼻歌に耳を澄まし消え入りそうな声で「違う」と呟く。別に人助けをしたつもりはない、不愉快で目障りで……だから女から感謝をされる筋合いもなかった。 言ってしまえば、あれはただの自己満足に近い行為。

「もしかして酒が飲めねェのか?」
「あ……ははは、飲めない、わけではないけど、好きではない」
「へェ、あの賞金稼ぎ様でも苦手なモンがあるとはなァ」

自分はそんなに優しい人間じゃないと無理に押し出したような笑みを浮かべた時、一向に減る様子のないジョッキをベックマンがのぞき込んだ。 酒場に入ってすぐに有無も言わさず渡された酒。なみなみとした量を保ったままランプの光を反射させるそれを、はどこが美味しいのか全く分からず、出来れば飲みたくはないと思っていた。 少しばつが悪そうに返事をすると、男は意外なこったと鼻で笑いなぜかもう一つのジョッキを押し付ける。

「ん?」

もしかしてこれも飲めというのか?少しムッとした声で問おうとするが、受け取ったものをよく見れば側面にいくつもの水滴を付けてはいるものの、何も入っておらず軽い事に気づく。 ではなぜわざわざ渡してきたのかと言う疑問が口から出るよりも早く、今度はひょいと酒が入ったままのジョッキが取られた。 「ぬるくなったら美味くねェだろ」男はそう言うや否や、の承諾を取ることなく酒を呷る。匂いを嗅ぐだけでも眉の辺りに嫌な線ができた強い酒は瞬く間になくなり、海賊は満足げに親指で口元を拭った。

「ガキにはまだ早かったかもな、ジュースでも飲んどけ」

ニヤリと笑うと、ベックマンは席を立ちふらりと違う席へ移動する。はその後ろ姿を見送ると、未だ空のジョッキを持ったままフードで隠した目を大きく見開き困惑の表情を浮かべた。 酒を飲みたい、ただそれだけの行為だったのかもしれない。しかし、出会った当初は視線すらまともに合わせなかった男の先程の行為が、まるで『代わりに酒を飲んでくれた』ように感じ首を捻る。そういえば周りの視線も……とあたりを見渡し、楽しげな雰囲気に眉を寄せた。 そこには友好的、とまではいかずとも、最初の時のような鋭い視線も殺意すらもどこにも存在しておらず、時折向けられるのは好奇心に満ちた、そんな視線。

「(やさ、しい?)」

一人で生きてきたにとって、理由無きやさしさは裏切りの前触れだと言うのを嫌と言うほど体験してきた。ただ一つの海賊たちを除き、物心ついてから何度も。 気づかぬ間に手に力がこもり、表情も険しくなる。これは罠なのかもしれないと思うほど、先日とは全く違う空気に戸惑いソファーの上で身じろぎをしながら、隣の男を見つめる。

「ん?どうした?」
「あ、いや、えっと、なんでもない」
「だっはっはっはっは!なんだそれ!?」

の視線に気づいたシャンクスが、相変わらず太陽のように眩しく裏表のない笑みを浮かべ振り返った。少し酒がまわったのだろう、いつもよりも頬を緩めたその姿は、海軍すらも脅かす四皇には見えない。 どちらかと言うと、あの日漆黒の空の下麦わらの一味と共に酒を酌み交わし、楽し気にルフィが話していた『赤髪のシャンクス』だ。仲間を想い、酒を楽しみ、まだ見ぬ新しい地を探し求める自由な海賊。 だからこそ、なぜ自分と関わるのかがわからないとは目を細めた。賞金稼ぎが物珍しいのか、それとも単なる時間つぶしなのか。誰に気づかれることなく、自傷気味に笑う。 考えた所で結局この海賊の考えなど、出会った時から一切分からないのだ。

「(まぁ……どうでもいいけど)」

利用されることにも、裏切られることにも慣れている。だから、奪う側へ身を投じた。早くこの瞬間が終わればいいのにと、静かに目を閉じた時。重い何かが机の上に置かれ、ガラスがぶつかり合う音が響く。何事だと目を開いた先の景色に、は口を開き固まる。 キラキラと水滴を光らせるそれは、つい先ほどベックマンも飲み干していた酒そのもので。しかもその数の多さに何事だと持ってきた人物をフード越しに見上げれば、楽しむような笑みを返された。 確か彼もまた手配書に書かれていた人物で、名をヤソップ。初めて会った気がしないその風貌に誰かを思い出そうとしただが、その答えを出す暇を与えることなく周りから盛大な歓声が沸き起こる。

「さァ、今からおれと飲み比べだ!」
「は!?」

隣に座るシャンクスが自身の膝を叩き、ジョッキを手に取るとの顔の前に差し出した。

「多く酒を飲んだほうが勝ち、負けたほうは勝者の質問に答える!な?簡単だろ?」
「なんの、話だ……!?」

突然の海賊の一言に言葉を失い、意味が分からないと勢いよく首を横に振る。飲み比べ?勝者?そんな話聞いていないと無意識のうちに後ずさるが、すぐにソファーの背もたれにぶつかり逃げ場がないことに気づく。

「別に変なことはしねェよ!ただ、お前についていろいろ聞きたいだけだ!」
「こ、断る!」
「でもなァ……」

と、シャンクスは少し困ったように眉を寄せ自身の首を触り、言葉なくともすぐに察し唇を噛む賞金稼ぎを見た。早く始めろと急かす声、どちらが勝つのか賭けを始めた声。一層賑やかになった酒場のテーブルには、奥から運ばれた酒がどんどん所狭しと並べられ、「NO」と言う選択肢は準備されていないのだと知らしめる。

自身は賞金稼ぎで、命を懸けることを楽しみ、生きるか死ぬかの勝負しかしたことがない……こんな始める前から勝算が決まった賭け事など、イカサマみたいなもの。だがの言葉に同意し、共に異を唱える者などその場にはいなかった。ニヤリ、と不敵な笑みをシャンクスが浮かべる。 分かったら諦めてさっさとジョッキを持て。そう言わんばかりの鋭い瞳に、は心の底からこの男はやっぱり苦手だと震える拳を隠しながら切に思った。海賊たちの夜は、まだ終わらない。


  
(2019/6/6)
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