01話

『顔無しの』―― それは素顔も性別も、誰も知らない賞金稼ぎ。海軍すら一切の情報をつかめておらず、酒の席ではおとぎ話として語られているが、海賊たちの間では危険な存在としてその名を今尚囁かれていた。名のある海賊もそうでない下っ端も、額に関係なく捕えられている。奴の狙いは金か?名声か?全てが謎に包まれたまま、今日も世界に太陽が昇る。



キラキラと輝く大海原のど真ん中に浮かぶ小汚い船に、地平線の向こう側を見つめる一人の影。ところどころ薄汚れたマントに身を包んでいるが、フードのせいで顔は見えない。

「今日もいい天気」

周りに誰の姿があるわけではないのに呟くと、影は一人歌詞のないメロディを口ずさむ。少しズレた音に誘われ突然吹いた大きな風はボロ船には不釣り合いの立派な帆を広げると同時に、顔を隠すフードも脱がしていった。影……否、は露わになった顔に気づき何度か瞬きするも、仕方ないと肩をすくめ黒い髪を耳にかける。

「今度は多少、楽しめるといいなぁ」

微笑みながらかけられた言葉は、胸元から出したこれまた薄汚れた紙に向かってだった。
海賊王が残した財宝を求め、多くの海賊たちで溢れている近年。海軍が出す『手配書』に書かれた多額の賞金を狙って、数え切れない程の賞金稼ぎが動いている。もその一人ではあるが、強い海賊と戦うことだけが目的で金には一切の興味はない。余計な面倒に巻き込まれまいと中性的な顔に化粧を施し、さらしを巻いて女性的な体格を消し過ごす日々。ふくらはぎまである長いマントで顔を隠し男と偽る姿は、彼女にとっては完ぺきだった……が、結果知らぬ間に付けられた通り名は『顔無し』。その名を彼女が不満に思っていることを世間は知らない。

「新しい首と出会えることに!乾杯!」

胸のモヤモヤを忘れるように叫ぶと、持っていた紙を空へと放つ。ダンスを踊るように宙を舞う手配書たちはゆっくり海へ着地し、ジワリと海水にインクを溶かされ寂しげに波に遊ばれた。は一切振り向くことなく次の目的地への期待に胸を膨らませたのもつかの間、ずるずると船床に倒れこむと静かに胸を上下させて夢の世界へと意識を沈める。 大きく顔に『×』と書かれた手配書たちは誰に拾われることもなく船を見送ると、ゆっくりと海の底へと沈んで行った。


***


その街に立ち寄ったのは本当に偶然で、バカ船長が死ぬほど腹が減っただのぬかして船に積んでいた食料のほとんどを食べてしまったからだ。決して積んでいた量としては少なくはなく、むしろ多すぎると行っても過言ではないくらいの量だったのに。深く深くため息をつきながら自身を縛る手錠を恨めしげに睨んだのち、ナミは隣で同じ状態のロビンを見た。

「どう?これ、取れそう?」
「いい知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたい?」
「……悪い方」

問いに対する返事でないことに、この次に訪れるであろう展開を女の勘で感じ取ったナミは眉間にしわを寄せ、少しだけ悩んだのちしぶしぶ答える。そんな気持ちを知ってかしらずか、いやこの黒髪美女なら知った上で言ったであろう一言はまさにいい知らせでも悪い知らせでもなく、『最悪』の知らせで。

「この手錠、海楼石で出来ているみたいで力が使えないわ」
「うそでしょ!?なんでそんなものがここにあるのよ!」

彼女の悲鳴にも近い叫びは窓一つない薄暗い部屋の、更に固く閉ざされた牢の中で大きく響いた。無造作に置かれたロウソクの灯りに照らされ動く人影はナミ達だけでなく小さな子供も含めて女性ばかりで、誰が見てもその瞳は怯えている。

「他の人は普通の手錠、ということは私が能力者だと彼らは知っていたのね」
「分かってんなら手を出すなって話よ……」
「因みにいい話は、見つからなかった村の人たちが見つかったことよ」
「えぇそうね!!」

そんなの見りゃわかるわよ!と一吠えしたあと、小さく唸る。食料調達のためだけに訪れたのになぜこうなってしまったか。到着早々、最近住み着いた海賊から女子供を夜な夜な連れ去られ、挙げ句の果てに村にある食べ物全て奪われ死ぬしかないと、村長含む男衆に泣き付かれたのだ。勿論そんな事件を見て見ぬふりをする船員達でないことは自分を含めて知っていたし、肝心の食料がないなら尚更後には引けない。ならばさっさと片付けてしまおうとした矢先の失態……肺中の酸素を深く吐き出し自分達を閉じ込める牢の格子を掴み、唯一の出口である部屋の扉を睨む。

「(冷静に考えろ私、どうやってここから逃げ出すか……!)」

ひんやりとした鉄で頭を冷やし、辺りを見渡していると部屋の隅から小さな女の子がナミ達の元に駆け寄り、どうしたのだと問うより先に大きな目一杯に貯めた涙を一つ、また一つと赤く染まる頬に筋を作り床に落とした。今にも消え入りそうな震えた声で、「ごめんなさい」の言葉を何度も繰り返しながら。

そもそも用心深い2人があっさりと捕まったのも、村の反対側にある大きな森の真ん中で彼女が泣いていたからだ。子供といえど女ならば連れ去られたと村人は言っていた、もしかしたらあの子はどこかから逃げてきたのかもしれないと駆け寄ったところで記憶は途切れている。罠にかかったのだと気付いたのは、もちろんこの場所で目が覚めてから。

「わたし、っのせい、で!」
「貴方のせいではないわよ、泣かないで」
「でもっ……!」

普段だったら女2人といえどここまで焦ることはなかった。しかし唯一『悪魔の実』の力を持つロビンは自分と異なる形をした手錠で力を封じられ、そいつはバカみたいに頑丈すぎて壊すことはまず困難な品物。つまり、現段階で脱出するための糸口が見当たらない。

「大丈夫、すぐに出してあげるから」
「えぇ、何も心配しないで」

まぁでも『アイツら』ならなんとかしてくれる。2人が力強い笑顔で頷いた時突然部屋の扉が乱暴に開かれ、やっと助けが来たかと振り向くナミの予想に反し、野太く野蛮な男の声が部屋中に響いた。



(2017/09/23)
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