「終わったね」
「そうですね」


まだ少し肌寒くて、桜の花も咲いていない三月。
入学した時から変わらない景色を、今日で最後になる教室の窓から眺める。




リボンを掛けて花を付けて





教室の中を吹き抜ける冷たい風に髪をなびかせながら、机を挟んで向かいに座る黒子を見つめた。 高校に入学して、偶然出会って。それから『お付き合い』を始めて何百日。 数字にすれば沢山の日々だけれど、私にとってはあっという間の出来事だった。

「あーあ、卒業なんて実感ないなぁ」
「僕もです、時が過ぎるのは早いですね」

ここに入ったのが昨日みたいだと、少し寂しそうに笑う黒子につられて頬を緩める。 私たちがいる教室は、ついさっきまでクラスメートの笑顔と笑い声が響いていたというのに。 窓から差し込む暖かな日差しは、静かに佇む机たちと、私と黒子だけに降り注ぐ。

「本当、こんなに早いなんて思わなかった」
「入った時は三年なんて、長いなって思ってたんですが」
「うんうん、しかも……さ」
「はい?」
「……黒子と、お別れする日が来るなんて。思いもしなかった」

椅子の背にもたれかかり、外を見る。
真っ青で雲一つなくて。こんなにも清々しくて気持ちの良い天気なのに、心のもやは一向に晴れることはない。 これからも、きっと。

「でも、心はいつまでも一緒です」
「へ?あはは、まぁ……うん、そうだね」

照れ臭い台詞に驚き、誤魔化すように笑いながら視線を戻す。 と、さっき見た青空のような輝きの瞳で、私を見つめる黒子と視線が絡んだ。 制服の左胸には在校生が作ってくれた赤い花を刺して。 右脇には、後輩たちからもらった山のようなプレゼントを詰んで。

「そうだと、いいなぁ」

そんな目の前の光景を見て、嗚呼、私たちは卒業するのだと。 改めて、実感してしまう。

一年の頃より伸びた黒子の身長、少しだけ大人っぽくなった顔付き。 唯一、真っ直ぐした優しい瞳と私たちの関係だけは変わっていない。 だけど、卒業後の私たちは別々の道へ進む。 『恋人』という関係で繋がったまま、離ればなれになって、それぞれ目的のために新しい扉を開く。 今までは隣にいるのが当たり前で、こうやって人目を盗んでは二人きりの時間を作っていたけど。

「(これからは、一人ぼっち)」

その『当たり前』がなくなったこれからを考えると、風のように不安が心を舞う。 大丈夫って不安定な言葉で、これからも繋がっていられるのか……なんて。 私も黒子も、きっと神様だって分からない。 この日が近づく度に幾度と感じた目元を覆う熱に、そっと目を閉じた時。微かに、私の髪になにかが触れた。

「やっぱりさんによく似合います」

目を開けると、私に手を伸ばす黒子の姿が見えた。私の不安とは裏腹に、とても優しい笑みを浮かべて。

「うん?」

『なに』が似合うのかが分からず首を捻ると、あの笑みのまま、黒子は無言で自分の頭を指差す仕草をした。 そこになにかがあるのだと、示すように。 言われるがままに手を伸ばし、カサリ、と音が耳元で聞こえると同時にその『なにか』が落ちる。

「わわわ!!」
「あ、すみません」
「大丈夫!だ……け、ど」

慌てて拾い上げ固まること数秒。
弾かれたように、私はまばたきを繰り返しながら黒子を見た。 先程まで黒子の制服に刺さっていたはずの花が、私の手の中にある。その理由を問う言葉が 喉まで出掛かかるも、なにも言わずただ微笑む黒子に、結局苦笑して言葉は飲み込むことにした。

「……どう、かな」
「とても可愛いです」

黒子がしてくれたように、自分の髪に花を挿す。 そして照れなど一切ない誉め言葉に、自分から聞いておきながらやっぱり恥ずかしくなってうつ向いた。
少しだけ静寂が私たちを包んだあと、今度は私の胸に付いた花を手に取る。 机から乗り出して、透き通る空色の髪にそっと赤い花をさした。

「黒子の方が似合ってる、可愛い」
「……可愛いと言われても、あまり嬉しくありません」
「誉め言葉なのに」
「僕は男です」

よく映える『赤』に目を細めながら、少しムッとした黒子に「そんなこと知ってるよ」と呟く。 黒子がどれだけ格好いいのか、どれだけ優しいのか、どれだけ……お互いを思い合ってるかも。

「……さん」
「なに?」
「手を、出してください」
「手?」

この時間が、この空気がいっそ止まればいいのに。 そうしたら、と自分勝手な願いを思い描いた時、黒子の声が耳に届く。いつの間にか下を向いていた顔をあげ、 その意図が分からないまま、右手を机の上に出す。 首をかしげて次の言葉を待つと、「すみません、反対の手を」と困ったような顔で言われてしまった。

「ご、ごめん」
「いえ、僕こそすみませんでした」

慌てて左手を机の上に置くと同時に、黒子の手も置かれる。何故か赤いリボンを握り締めて。

「ん?」
「失礼します」
「あ、はい」

それは?と問いかけるより先に、そっと私の手が取られ、見つめる先で器用にリボンが巻かれた。 シュルシュルと、布と布の触れる音を静かに奏でながら、『左手の薬指』に赤いリボンが結ばれる その場所が示す意味を理解するには、少しだけ時間を要した。

「まだこんなものしか準備できなくて、すみません」
「……」
「僕はまだ半人前で、さんを安心させられないくらい未熟です」

何度も、何度も。
まばたきを繰り返しては目の前の光景に目を見開き、絡む指から伝わる熱に鼻の奥が痛み、 徐々に視界が歪んだ。

「気持ちばかりが焦って、いい言葉が思い付かなくて」

言葉にできない感情が、涙となって何度も頬を伝う。
だけど心地よい声が運ぶ言葉をひとつも聞き逃したくなくて、拭うことなく、歪む世界に見える 『赤』を見つめた。絡んでいた指が、手が、リボンを結ばれた私の手を包む。

「……離れたくなんて、ありません。ずっとずっと、こうやってさんに触れていたい」

強く握りしめられ、「私もだ」と返事をする代わりに涙が零れ落ちていく。 寂しいとか、悲しいとか。今まで冷たく混ざり合っていた感情の奥深くで、熱いものが渦巻くのを 一身に感じ、少しずつ不安が消え去っているようで。

「必ず、僕があなたを一人の男として守れるようになります」

静かに、だけど力強い黒子の言葉にひかれるように顔を上げると、真っ直ぐ私を見据える瞳に 思わず息を飲む。と同時に、不安しか抱えていなかった自分を恥じた。 一緒にいたあの日々が、全ての真実なのに。 未来なんて、先が分からないものを心配してもどうにもならないのに。

さん、大学を卒業したら僕と結婚してください」

熱を帯びた黒子の言葉が、私を燃やしているんじゃないかと錯覚するくらい体が熱を持つ。 顔が、耳が、手が、心臓が、零れる涙すら。 言葉を紡ぎたいのに嗚咽が邪魔をして、ただただ泣きじゃくる私の頬にそっと手が当てられ、 小さな子供を慰めるように撫でられる。何度も、何度も、優しく。 不安が小さくなり、代わりに黒子への想いがはち切れんばかりに膨らむ。

「っ……!黒っ、子」
「はい」

浅い呼吸を繰り返しながら、頬に置かれた手にそっと自分の手を重ねる。 伝えたい言葉がありすぎて上手く文章にできず、働かない脳の代わりに感情が、心が、 今ある気持ちそのままを言葉にした。

「宜しく、お願いっ、し、ます」

今も、これからも、ずっと。
二人で成長して、時には迷って、そして並んで歩いていられるように。 結局言えたのはその一文だけで、だけどそれ以上の答えは見当たらなくて。 最後になる学校のチャイムを聞きながら、お互い髪に花を挿して、手と手を強く握りしめて未来を誓った。


(2018/01/29)
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