全ての物事には『始まり』があり、そして必ず『終わり』がある。
眩しい太陽の日差しと澄みきった青空を、目を細めながら見上げた。
いつもと変わらない景色の今日は、『終わり』の日から暫く経った、『始まり』の日。




うるさいくらいの恋心





鳥たちのさえずりが響く空の下を、リズミカルに走り抜ける。
悠々と空を流れる雲、草花を揺らす風に紛れて香る桜。季節は、春。中学を卒業して、少しだけ長い春休みを終え迎えた、入学式当日。真新しい制服に腕を通し、いつもより少しだけ違うように見える景色に胸を高鳴らせながら、『アイツ』も通る裏道へと足を早めた。

「(いたっ!)」

地元民しか知らないような裏道で太陽の光に反射するようにキラキラ光る髪と、見慣れぬ制服に包まれた後ろ姿を見つけたのはその数秒後。少しだけ肩で息をしながら、走っただけじゃない胸の鼓動に苦笑する。いつのまにか止めてしまった足を再び動かし、私に気づかないままイヤホンから流れるメロディに耳を澄ます男の背を勢いよく叩いた。
気持ちのよい音が、辺りに響く。

「いてぇーっ!?」
「おはよ、黄瀬!」
「は!?……え、なっ、っち!?」
「おはよう」
「……お、おはよう」

勢いよく振り返った黄瀬は痛みでか瞳を潤ませながら眉を吊り上げ、私の姿を見つけると今度は困惑したような表情を浮かべる。嗚呼、もう、こいつは。 無意識のうちに溢れそうになる『想い』を飲み込み、先程叩いた背中を数回、今度は優しく撫でる。

「途中まで、良かったら一緒に行かない?」
「……そッスね」

沈黙の意味を深追いはせず、返ってきた寂しそうな笑みにも触れず。先程までしていたイヤホンを黄瀬が片付けている間に、私も髪や服が乱れていないか確認をする。だって今日は新しい学校生活が始まる日で、私と黄瀬が『友達』として接する初めての日だから。

「!」
「ここ、はねてるッスよ」
「……ありがと」
「どーいたしまして」

不意に伸ばされた手が私の髪に触れ、耳が熱を持ったように熱くなる。考えなくても分かる理由を認めたくなくてやけくそ混じりに笑みを浮かべたら、見慣れた笑みが返ってきた。 優しくて生意気で、馬鹿みたいな大好きな表情。
冬までは同じ学校の同じクラスの、大切な恋人で。春からは別々の学校で違う環境にいる、沢山の友人のうちの一人。どちらが言うわけでもなく、『いつものように』並んで歩く。

「今日から高校生なんて、実感ないッス」
「本当、まだ中学生気分抜けてないよ」

やっと出た笑い声が、淋しく響く。当たり障りのない会話、二人の間に出来てしまった壁。いつから黄瀬の隣を歩くだけで泣きそうになってしまったのだろう、なんて自業自得にも近い疑問に答える声はない。 気付けば時が経つとともに互いに言葉が詰まり、砂利を踏む音だけが聞こえた。

「(友達の頃は、何を話してたっけ)」

ぼんやりとそんなことを考えて、出会った頃を思い出そうとして止める。困った事に、幸せだと感じていた日々のことしか思い出せなかった。哀しく鳴る胸の鼓動につられ、 徐々に近づく別れ道が浮かぶ涙で揺らぐ。

「さっき、」
「うん?」

この状態のままあそこまで歩くのかと思った矢先、黄瀬の声が耳に届く。
その瞬間、先程以上に大きく胸が高鳴ってしまうが冷静を装って振り向いた。だって私達は友達なのに、胸が高鳴る理由なんて無いのだから。黄瀬は真っ直ぐ前を向いたまま、一瞬視線だけを私に向けた気がしたが直ぐにまた前を向き、ゆっくり口を開く。だから私も前を向き、代わりに全ての神経を黄瀬へと向けた。

「さっき聞いてたの、っちに前貸りたCDなんスよ」
「CD……あ、そういえば貸したことあったね」
「忘れてたんスか?」
「だって黄瀬、あんまり気に入ってなかったじゃん」

一言一句、聞き逃さないように。そうでもしないと、速度を増す胸の鼓動に掻き消されてしまいだから。 心臓が耳のそばで鳴っているよう、だなんて大袈裟に聞こえるかもしれないけれども、 今の私はまさにそれで。静かに深呼吸を繰り返し、やっと脳に届いた黄瀬の言葉が引っ掛かったのは少しして。

「あの時も、すぐ返されたし」
「こないだ借りてきたんスよ、近くの店で」

再び、沈黙。
私の鼓動は、響く砂利の音をも掻き消すほど大きくなっていた。息をすることすら、苦しくなる。振り向く余裕がない私は、黄瀬が今どんな表情をしているのか分からない。私自身がどんな顔をしているのかも。

「多分、二度と、聞かないって」
「だったんスけど……二度とどころか、毎日、聞いてるッス」

二人の間を通り抜けようとした風が、いつの間にか体が熱を持ったことを教える。緊張で乾いた口から溢れた「どうして」と、声にならない言葉を遮りながら。

別れを切り出したのは、私。
同じことを思っていたと、笑顔でサヨナラを言ったのは黄瀬。
別々の環境でいつしかこの関係が自然と消えるのが怖かったから、お互い笑って『サヨナラ』を言った卒業式。友達に戻って、一度も会うことの無かった春休み。

「……別れ道、ッスよ」

卒業なんて終わりがなければ、ずっと一緒にいられたのに。春が来なければ、黄瀬の隣で笑っていられたのに。小さな子供のようなワガママを呟いては、別れを連れてきた春を嫌いになっていた。 足を踏み出す度に近づくのは、黄瀬との別れ道。足も、頭も、心も重い。

「      」

黄瀬の口から紡がれた言葉が、聞こえた気がした。だけどそれは、突然吹き荒れた春の嵐に掻き消される。代わりに聞こえたのは、ずっと前から声無く叫ぶ、私の心の声。

「(……そっか)」

気付きたくなくて、気付かないふりをしていた。両の手を耳に当て、聞こえないように、認めないように。でも一度気付いてしまうこれ以上自分は騙せない。ついに別れ道にたどり着いた時、辺り一面は満開の桜に包まれていた。はらはらと舞い散る花びらで出来た絨毯で思い出すのは、初めて黄瀬と出会った日。 そういえば、あの時も桜が美しく咲き誇る春だった。

「(私はまだ、黄瀬に恋をしてたんだ)」

出会って、別れて、そして今も尚。
静かに溢れ落ちた涙を拭うこと無く、無言で差し出された音楽プレーヤーに手を伸ばす。ぐるぐると、整理ができない感情に押し込まれて言葉はまだ出てこない。それは多分、黄瀬も一緒。 お互い口を固く閉じたまま、無機質な小さな機械から流れる私が一番好きな曲にそっと耳を澄ませた。

全ての物事には『終わり』があり、そして必ずまた『始まり』がある。
いつもと変わらない景色の今日は、間違った『終わり』の日から暫く経った、もう一度の『始まり』の日。


(2018/01/29)
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