私は、この世界が嫌いだ。
 汚くて、醜くて、弱くて、他力本願で。そして、都合が悪いとすぐに手のひらを返す。数え切れない程の不条理に巻き込まれていくうちに、混ざりあった不の感情達がいつしか強大な嵐となり、それに突き動かされるまま暴れさ迷う日々。気付けば私は『ヴィラン』と呼ばれ、嫌っていた世界から、嫌われていた。

「君がいるこの世界が、とても大事なんだ」

 なのに、突然私に会いに来るようになった奴がいる。誰にも言われた事の無い言葉を、何度も紡ぎながら。驚くくらい真っ直ぐで、馬鹿みたいに誰かの為に血を流して、夏の入道雲のように大きくて――。
 獅子王の如きその存在は瞬く間に私の世界を覆し、眩しくて目を閉じてしまいそうな程眩くて、|優しさ《愛》を与えた。

「……相変わらず、ね」
「本当のことだからさ」
「私なんかのどこがいいのよ」
「ひとつずつ、言ってみようか!」
「……やだ、やめて、絶対やめろ」
「君は素敵な所が沢山あるんだけどなぁ」

 ――オールマイト。
 どんな絶望の中でも彼の声が響きその姿を表せば、誰もが希望を見出し、力を与えられる存在。ヒーローの中の、誰もが憧れ認めるプロヒーロー。
 私は彼をこの世界同様に大嫌いで、嫌悪してた。名を売るために点数稼ぎをする、偽善者の道化師だと思っていたのに。ヴィランとして闇社会で息を潜め、髪の毛から足の爪の先まで『誰か』の血で汚れた私に、怪我をしているからと絆創膏を渡したり、危険な行為は危ないだなんて説教したり、挙句の果てに『私がいる世界が大事』だなんて宣った、変な奴。初めて出会った頃を思い出し口元を緩めれば、コポリと音を立てて血が顎を伝い落ちる。

「……最後に見るのがあんた、か」
「大丈夫だ、すぐに病院に連れていく」
「無理、それくらい分かるでしょ」

 口内に満ちる味に眉根を寄せながら、どうにか口角を上げてみせる。けれど、こぼれ落ちる血の量がますます増えただけで何も変わることは無い。だらりと力なく横たわる私をオールマイトは慎重に抱き抱え、白い歯を出しながら、珍しく下手くそな笑顔を浮かべる。当たり前だ、ヴィラン同士の抗争で呆気なく敗れ、命の灯火が少しずつ消えていく人間が目の前にいるのだから。

「ヒーローが悪人、助けちゃダメでしょ」
「君は、君だよ」
「ふふっ……なにそれ」
「俺の大事な人なんだ」

 ついには泣きそうな顔をして言うものだから、いつもあんなに大声を出して笑ってるのに似合わない、なんて笑みが自然と溢れ出る。触れられているはずの手は温かいのに、私自身の身体はどんどん熱を失い、寒くて震えていたがもう何も感じない。この先に待ち受ける『終末』に恐怖や不安を抱かないのは、きっと最後に会えたのがオールマイトだからだろう。ぼんやりしてきた頭で、そんな事を思う。

「絶対に君を助けてみせるから」
「もう、助けてもらったよ」

 大きな身体を小さくして、肩を震わせながら、それでも気丈に振る舞うその姿がとても愛おしくてたまらない。嗚呼、こんな燃えるようで穏やかな感情は初めて知った、なんて言ったら彼はどんな反応をするだろう。抱き締め返したいのに、もう動かせない自分の腕が憎らしい。
 夜空の下、2人きりの空間。きっとこれは『ロマンチック』で、最高の『別れの舞台』に相応しい。ふわりと吹く風が、冷たいのか暖かいのか、もう分からないのに、オールマイトの手の感覚だけはまだしっかりと感じている。

「こんな世界、大嫌い」
「……そうだったね」
「でもね、」

 なんだかゼーゼーと、雑音が混じったような荒い呼吸になってくるが、それでも話すことは止めない。本能的に、1度でも口を閉じたら、もう話すことができなくなると悟っているからだろう。

「私、オールマイトがいる世界は、好きだよ」
「っ」

 ニコリ、力を振り絞って笑いかける。
 彼に出会うまでは全てを憎んでいた、私を捨てた親を、利用した人間を、トカゲの尻尾切りのような事をする輩を、そして何も知らずに過ごす人々を。八つ当たりだとしても全部全部壊したくて、ヴィランと呼ばれる事を受け入れた。でも後悔はしていない、そのおかげでオールマイトと出逢えたのだから。最後に見るのも彼がいい、その願いも叶えられた。

 どこか遠くで、自分の呼吸する音と心臓の音がゆっくりと聞こえる。オールマイトが見えていた世界は、ショーの幕が降りるように暗くなって行く。

「誰……」
「? 何がだ?」
「ここに、いるの、は」

 虚ろになっていく意識と、重くなってゆくまぶた。走馬灯とはよく言ったもので、思い出したくもない出来事から忘れていた出来事までもが、浮かんでは消えてを繰り返す。まともに動かない頭で絞り出した言葉の意味がちゃんと伝わったのか、ビクリと大きく一瞬震えた後、ゆっくり息を吸う気配を感じて、また私は微笑んだ。口からこぼれ落ちる血を拭う力も、味覚も、もう無い。それでも、唯一生きている耳を必死になって研ぎ澄ます。聞き逃さないように、絶対に忘れないように。

「私が、来た」

 オールマイトの力強い声が、私の耳を通り、ギュッと心を掴む。初めて聞いた時は、雑な自己紹介だと思った。二度目に会った時は、ダサい台詞だと思った。それ以降も、もっとまともで格好良くすればいいのに、だなんて呆れていた。でも今は、とびきり最高な言葉だと絶賛する。

 上手く笑えたかは分からない。ちゃんと言葉を紡げたかも分からない。瞼はもう閉じてしまって、音すら消えた世界は真っ暗だった。それでもスポットライトのように一筋の力強い光が、見えた気がした。私を助けてくれた、大好きな光。

「(来てくれてありがとう、私のヒーロー)」

 どこかで名前を呼ばれている気がする。何度も、何度も。唯一、私の本当の名前を知っていた人。私に愛を教えてくれた、世界一最高のヒーローの声が。



サヨナラの舞台






(2025/01/09)
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