12.5話

穏やかに吹く風は幾多もの波を作り、仲間たちを乗せたメリー号をまだ見ぬ未来と運んで行く。鳥たちの歌声が船員たちの元に届く、争いがない珍しく緩やかな時間。そんな中、眩しい日差しが差し込む一室でゾロは椅子に深く腰掛け、口を1つに結んだまま窓から外を見つめていた。 鋭い瞳、青筋が浮かぶ額。隠すことなく纏うぴりりとした空気が、先日まで『特別な能力』の副作用で寝込んでいたを覆う。

「……」

茶でも飲むかと、やっとまともに体が動くようになったが身を起こしたのは少し前。彼らに醜態を見せたと反省しながら大きく伸びをした時、突然扉を開けゾロが入ってきた。慌ててフードを被り、生気に満ちた剣士の姿に安堵したのもつかの間、すぐにそんな思いは消え去る。

「(挨拶を交わす、余裕すらない)」

部屋に入った一瞬だけ視線は絡み、その後すぐ逸らされ冒頭に戻る。ゆらゆらと揺れる波に呼応して時折軋む船の音だけが、静寂に満ちる部屋に響いた。

「(困った)」

喋る事も、勿論部屋から出る事も許される雰囲気ではなく、はベッドに座り込んだまま肩をすくめる。ゾロがここに来た理由は、多分見舞いなどでなく『治療』の事についてだろう。先日チョッパーの前で行為について話した後、顔を真っ赤にして怒っていた様子をぼんやりとだが覚えていた。自分の秘密は話すなと言いながら、彼のプライドを傷つける行為をしてしまった……我ながら浅はかな行為だったと唇を噛み、遅い後悔をする。

「お前と『した』ことは、おれの一生の不覚だ」

不意に、ゾロの声が響く。なにを『した』のかもちろん聞く必要はなく、やはりかと確信したと同時には深く頭を下げた。ふんわりと柔らかなシーツが、鼻先に触れる。

「ごめん」

意識が朦朧としていた人間に、緊急と言えど口づけしてしまったことはまぎれもない事実。そして、仲間たちにそのことを知られてしまったことも。しかもゾロの中では『男』なのだ、不愉快な上多少心の傷になってしまっても仕方がないはずだと、改めて自分の行為を反省する。そろそろと顔を上げ、腕を組んだまま神妙な面持ちの海賊を見る。なんとも言えない表情が、尚のこと賞金稼ぎの不安を煽った。以前の自分なら他人の顔色を伺うことなどまずせず、助けてやらなければよかったとさえ思っていたと、容易に思い浮かぶ答えに呆れたような笑みを浮かべる。

「(けど、元気な姿を見て安堵したんだ)」

例えその後どんな事が起きようとしても、自分を許してくれなくても、それでも助けたいと強く思った存在。取り繕うこともできない気まずい沈黙に、無意識のうちにシーツを握りしめる。

「なんでお前が謝ってんだ?」
「……は?」

だがふと掛けられた気の抜けたような声に、賞金稼ぎは自身の耳を疑い目を見開いた。彼は今、なんといった?その言葉を理解するには少し時間を要し、予想外の言葉に困惑したの口から出たのはこの船に乗ってから出るようになった軽口。

「え?なに?君、もしかして実は嬉しかったの?」
「今すぐその汚ねェマントごとぶった切るぞ」
「あ!や!違うそうじゃなくて!」

途端鋭い瞳で睨みつけ、鞘に手を添えたゾロには慌てて手を振り「冗談だ」と口早に答える。はははと誤魔化すような笑いを浮かべ、フードの上から頭をかきながら先ほどの言葉の意味を尋ねた。不愉快で、だから自分のところへ来たのだろうと問うと、ゾロは意味が分からないと眉を寄せどこか呆れたように答える。

「おれがいちいちンなことでここに来るわけねェだろ」
「でも『一生の不覚』って言ったじゃないか君、それにこの部屋に入ってから始終機嫌が悪かった」
「そりゃ野郎とあんなこと……」

言い終わるより、先日の事を思い出したのかゾロは苦虫をつぶしたような表情を浮かべ、誤魔化すことなく目の前で舌を打つ。いっそすがすがしいと乾いた笑いをが洩らしたことに気づいたのか、少しばつが悪そうな顔のままため息交じりに言葉を続ける。

「だがそれとこれとは別だ、テメェに助けられたことに変わりはねェからな」

だから、ありがとう。今度はゾロが深く頭を下げた。その姿に、彼から告げられた言葉に、は何度も瞬きを繰り返す。何度も、何度も、目の前の光景は自身が見せる幻覚なのかと疑いを持ちながら。

「(困った)」

本日二度目の困惑。それは、麦わらの一味と出会ってから確かに変わっている自身の感情。誰かを助け、そしてその無事に安堵したのはいつが最後か。その記憶すらないことに自然と湧いた力ない笑みは唯一見せる口元に浮かび、顔を上げその事に気づいたゾロが目を鋭くさせた。

「なんだ、その顔は」
「いや?君が無事でよかったって、改めてそう思ったのさ」

自分を憐れみる事はしないし、今までの日々を悔やむ事もしない。それでも思ってしまう、彼らともっと早く出会っていられたら自分はもっとまともな日々を過ごしていたのかと。

「(弱くなったもんだね、顔なしの)」

ずきり、とどこか体の奥が小さく痛む。宥めるようにマントの上から胸を抑えると、怪訝な顔をした海賊に心配され、はついに堪えきれず笑い声をあげた。賞金稼ぎが海賊に心配される日が来るなんて思いもしなかった、自分が人を助ける事も、人から感謝される事も……。笑い過ぎて出たのであろう涙をそっと脱ぐう賞金稼ぎにゾロは何事だと首をひねっていたが、纏う空気はすでに穏やかなものに変わっている。

「……ありがとう」
「なんだいきなり」
「この船に乗って、共に過ごせたことに感謝してる」

楽しかった、多分その感情の名が一番今自分の中にあるものに近い言葉だろう。少し驚いたように目を丸くしたゾロはすぐにくしゃりと顔を歪ませ、「お前から礼を言われるなんてな」と笑みを浮かべた。他愛のない時間、それすら心を穏やかにする。もう少しこの時間が続いてもいいのかもしれないと、少しずつ、でも確実に近づく終わりの時間を感じながらはそう思ってしまった。






(2018/06/19)
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